存在そのものが奇跡「金印」を見に行く

博多駅前の大博通りの金印のオブジェ

博多駅前の大博通りにこのようなモニュメントがあります。

まさに教科書で見たことがある金印です。間近で見ると、文字を掘った際の溝に残る刃物の跡まで再現されています。

「漢委奴国王」の「王」の文字は現在でも文字の形と意味が通じることに少し感動します。

金印が発見された状況と金印偽造説

金印は江戸時代に博多湾の北部に位置する志賀島で農業を営む甚平さんが農作業中に発見しました。甚平さんというマンガ日本昔話に出てきそうな名前の方が偉業を成し遂げたわけです。もちろん、甚平さんは発見した当時から金印の価値を認識していたわけではありません。その後、金印は奉行という島の行政官を通じて福岡藩の黒田家に渡ります。

しかし、このような発見時の状況が金印が偽物ではないかと疑われる根拠になっています。シンプルに言うと、「志賀島なんかに金印がある訳がない」というものです。金印が中国の皇帝から頂くような貴重な物であるならば、古墳や神社の宝物庫等から発見されるのが自然だと考えられるからです。また、志賀島に当時の人々の集落の存在を裏付けるような遺跡や遺構も発見されていません。

金印が発見された志賀島の金印公園へ

志賀島は現在では陸続きになっていますが、金印が発見された金印公園へ行くだけであればフェリーが便利です。

左側の島が志賀島。フェリーでおよそ30分の船旅になります。

こちらが船内の様子。乗客は私を含めて3名でした。

志賀島へ到着します。フェリー乗り場には巨大な金印のモニュメントがありました。

金印公園の石碑と金印の石像

金印公園に到着すると正面にあるのがこちらの石碑です。

こちらが金印の石像です。公園のどのあたりで金印が発見されたのかまでは特定できないそうです。金印発見の地である志賀島には長居は不要です。金印公園の滞在時間が20分程度で再びフェリーターミナルへ向かいます。

福岡で有名なブランド苺のあまおうが路上販売されていました。朝獲れあまおう1パック400円。

福岡市博物館の入場料200円で金印を見ることができる

次に本物を見に行きます。

金印が展示されている福岡市博物館は福岡市内の百道エリアにあります。「百道」は「ももち」と読みます。百道エリアには博物館以外にもヤフオクドームや福岡タワーがあります。博物館の常設展示の入場料は200円でした。

金印は博物館の常設展示の最初の展示スペースにあります。金印専用の展示スペースが確保されています。

こちらが金印の写真です。 真っ暗な空間の中央に設置される台の上に金印が輝いています。金印が乗っている板の下には鏡が設置されていて、文字の面が反射されています。金印の大きさは、1辺がおよそ2センチ。チョコレートの一かけらくらいしかありません。事前に大きさを知っていても実際に金印を見た時の印象から受けるサイズの小ささに驚きます。

金印は日本と中国の交流を伝える、年代の明確な日本最古の資料

西暦57年に後漢の光武帝が倭の奴国の使者に金印を授けたことは、日本の歴史において年代が明確で最も古い歴史的事実です。2番目の記録が、西暦107年の出来事です。この年に倭国の王である帥升(すいしょう)が160人の奴隷を後漢に献上しています。この帥升が日本の歴史で固有名詞として名前を残した最も古い人物です。これらは中国の後漢書の記述です。

3番目の記録が3世紀頃の出来事です。こちらは非常に有名な卑弥呼や邪馬台国に関する魏志倭人伝の記述です。金印や邪馬台国は日本の古代の歴史においてひとまとまりのように扱われますが、金印と邪馬台国の間にはおよそ200年の時間のギャップがあります。

ご存知のように、邪馬台国の場所や卑弥呼の陵墓等は明らかになっていません。2番目の160人の奴隷の献上という出来事に関しても、後漢書の記載以外の資料はありません。しかし、最も古い出来事である金印に関しては、金印そのものが残っています。

金印の凄さは、年代の明確な日本最古の出来事が歴史書に書かれた記載だけでなく、物証として残っている事そのものにあると思います。

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