鑑真の来日に要した10年の月日と6度の挑戦
こんにちは。管理人のエスポワール です。今回は鑑真と奈良の唐招提寺を紹介します。
鑑真は奈良時代に仏教の戒律を伝えるために754年に来日した唐の僧侶ですが、鑑真の来日には弟子の密告による妨害や、暴風雨による渡航困難など、10年の月日と6度の挑戦がありました。
航海技術が現在とは比較にならないくらい未熟だった1250年前の出来事で、当時の航海はまさしく命懸けです。鑑真が来日した際も唐を出発した4つの船のうち、日本に到着したのは2つだけでした。 その時、鑑真は66歳で両目の視力を失っていました。
佐賀市に残る鑑真到達記念碑と鑑真号
来日した鑑真は沖縄、屋久島、種子島と島伝いに北上していくのですが、こちらの写真は佐賀県佐賀市の県立森林公園内にある鑑真の到達記念碑です。鹿児島からそのまま陸路で奈良まで行ったのではなく、海路で有明海まで北上したというのが正確なルートのようです。
尚、時は流れて1985年に日中間で初の国際定期フェリー航路が開設されましたが、その大阪・神戸ー上海間を結ぶフェリーは「鑑真号」と名付けられました。船籍が中国なので名付け親は中国の方だと思われますが、日中の懸け橋となった僧侶の名を冠したフェリーのネーミングは秀逸だと思います。
現在では中国への航空券も非常に安く手に入りますが、2000年以前は中国へ安く行くなら鑑真号一択でした。
唐招提寺へ行く
唐招提寺は仏教の戒律を学ぶために鑑真が759年に建立した寺院・道場です。
唐招提寺の南大門に掲げられた額に記載された「唐招提寺」の文字は宇佐八幡宮神託事件でも有名な孝謙天皇のものです。
こちらが唐招提寺の金堂です。派手さはないのですが簡素で重厚な8世紀後半の建築物です。人影がない写真が撮影できたのは拝観時間直後の入場の為です。訪問したのは平日でしたが、観光客でにぎわっていました。金堂内の写真撮影は禁止されています。
こちらが講堂です。平城宮の建物を移築したもので、鎌倉時代に改造されています。
こちらが開山堂です。この建物には鑑真の像が安置されています。正確には鑑真の像のレプリカの展示です。本物の鑑真像は日本最古の肖像彫刻で、鑑真の命日である6月5日から3日間のみ限定公開されます。
こちらが鑑真の御廟、開山御廟です。唐招提寺境内の奥にあり、鑑真の故郷である揚州から送られた「瓊花(けいか)」という花が咲いています。
鑑真を招聘した日本人留学僧の物語「天平の甍(いらか):井上靖」
天平の甍とは鑑真を招聘した日本人留学僧を主人公とする、井上靖の歴史小説です。
本書では鑑真来日までの多くの困難や奈良時代の留学僧の境遇が描かれているのですが、小説としてのドラマティックな描写よりも、史実に基づいた正確性を重視した描写がメインの小説でした。
専門用語も多く少し読みづらいのですが、ボリュームは多くありません。表紙の挿画は平山郁夫氏です。