岩手県の震災被害概要
こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は岩手県の東日本大震災の慰霊碑を紹介します。
岩手県は沿岸部を形成するリアス式海岸によって、津波の際に湾の奥ほど波の行き場が限定されてしまい、津波の到達点が高くなりました。また、過去に3度( 明治三陸大津波、昭和三陸大津波、チリ地震津波 )の津波被害を受けており、その際の津波の慰霊碑も見つけることができました。
久慈市
ケルン・鎮魂の鐘と光(諏訪公園)
今回紹介する最北端の慰霊碑は久慈市の諏訪公園内の円錐形のモニュメント、ケルン・鎮魂の鐘と光です。ケルンとは石積みという意味です。
九戸郡野田村
ほたてんぼうだい
九戸郡野田村の記念碑は石碑が門のような形をしています。これらは海に対する「畏怖の念」、亡くなった方に対する「追悼の場」、帰ってこれる場としての「ふるさと」、ここから一歩ふみだす「未来」を意味しています。
下の写真は過去の津波の記念碑です。
宮古市
たろう観光ホテル
写真のたろう観光ホテルは現在は津波遺構として保存されています。建物の1階と2階の部分が津波によって破壊されている様子が明らかです。
上の写真はたろう観光ホテルの駐車場の写真です。測量の際に基準となる基準点が右の位置から現在の位置へ震災の前後で2.18m移動していることを表しています。震災による地殻変動が分かりやすいです。
震災メモリアルパーク中の浜
震災メモリアルパーク中の浜は震災以前はキャンプ場でした。
こちらは破壊された公衆トイレです。
こちらは高台から見る以前のキャンプ場の姿です。
メモリアルパークは整備されていますが、周辺の道路はこのようにガタガタです。
姉好キャンプ場付近
こちらは同じく宮古市内の姉好キャンプ場付近に立つ津波到達点の石碑です。ただ、注目すべきは次の写真です。
上の写真は震災の津波到達点から30mほど内陸の場所から撮影したものです。左側に映る石碑に注目します。
こちらの古い石碑は明治三陸大津波、昭和三陸大津波の際に建てられた石碑です。
高き住居は子孫は和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
と書かれています。この石碑の通り、実際にこの場所より低い位置に家はなく、今回の津波の際も周辺の集落は津波による被害を免れました。
下閉伊郡山田町
鎮魂と希望の鐘(御蔵山)
下閉伊郡山田町のモニュメントは山田ロータリークラブにより建設されました。
展示されている時計は津波被害を受けた3時27分で止まっています。
殉職した消防団員の慰霊碑も併設されています。
下閉伊郡大槌町
赤浜地区
こちらのモニュメントにはひょっこりひょうたん島の歌詞が書かれています。
旧大槌町役場跡地
奇麗な芝生が広がるこちらの場所は以前は役場のあった場所でした。津波被害を受けた役場の建物を残すべきか解体すべきか意見が二分しましたが、結局は安全上の観点から解体されました。
現在はこのようにお地蔵さんが立っています。
大船渡市
洞雲寺
こちらは大船渡市内の洞雲寺により建立された観音像です。
曹洞宗の寺院のようです。永平寺と總持寺の記事はこちらです。
陸前高田市
陸前高田復興まちづくり情報館
こちらは陸前高田駅前にあります。
館内は震災前の街の様子が伺える写真などが充実しています。
東日本大震災津波伝承館(高田松原津波復興祈念公園)
こちらの東日本大震災津波伝承館は国内で最も津波被害の資料が充実した施設です。 広い駐車場に観光バスを数台確認しました。
館内では津波被害の歴史、東日本大震災の津波被害の概要、津波被害によって得られた教訓、国内外からの復興支援に対する感謝などがまとまっています。
こちらは津波によって破壊された消防車の展示です。
公園からは三陸の海が遠くまで見渡せます。陸前高田市の市街地を飲み込んだ津波が襲ってきたことが信じられないほど静かな海でした。