前近代的な風習に縛られた登場人物の悲惨な結末ー獄門島:横溝正史ー

終戦直後の前近代的な風習の残る離島が舞台

こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は1971年に発表された横溝正史の長編作品、金田一耕助シリーズの「獄門島」を紹介します。

本作品は終戦直後の瀬戸内海の離島である獄門島を舞台にしています。獄門島は海賊の末裔、島流しの刑に処された囚人の末裔といった人々が住む瀬戸内海の小島という設定で、終戦直後にもかかわらず前近代的な風習が色濃く残っています。このように強烈なインパクトを持つ作品の舞台設定が素晴らしいです。そして、主人公の金田一耕助が獄門島へ向かう船内の場面が獄門島の解説になっています。本作品において読者を作品の世界に力強く引き込む描き方が秀逸だなと感じます。

獄門島の前近代的な風習とは以下のようなものです。

  • 瀬戸内海の小島という地理的要因から、島の人々が排他的な気質 。
  • 「網元」と呼ばれる漁船をもつ漁業経営者の発言力が大きく島の政治や警察機能を掌握している。
  • 家父長制度が色濃く残り、家督の継承・相続問題が顕在化している。
  • 精神病を患った人に対して座敷牢に幽閉するような対応をしている。
  • 祈祷による病気の治癒の風習が残っている。
  • 島の駐在所の巡査が金田一耕助を犯人と疑い逮捕・拘束する。
  • 元復員兵の不審人物(海賊)が出没する。

本作品のキーワード「きちがい」

それでは作品のあらすじを紹介します。

終戦の翌年、金田一は「自分が帰らないと島に残した3人の妹の命が危ない」と言い残して戦死した戦友の鬼頭千万太の死を知らせる為、獄門島へ向かった。船内では千万太のいとこのであり、鬼頭家の分家に相当する一(はじめ)の無事が確認された。

獄門島には千万太の妹たち(月代・雪枝・花子)と一の妹の早苗がいたが、千万太の父、与三松は発狂して座敷牢に入れられており、千光寺の和尚・了念、村長の荒木、医者の幸庵の3人が後見人となっていた。

金田一が島に滞在して10日後、正式な千万太の葬儀が行われた日の夜、三姉妹の三女の花子が梅の古木から逆さづりにされた状態で死んでいた。それを見た了念は「きちがいじゃがしかたがない」とつぶやくが、それを聞いた金田一は与三松が犯人ならば「きちがいじゃがしかたがない」ではなく「きちがいだからしかたがない」の言い回しの方が自然ではないかと不審に感じたのだった。

翌日、金田一が滞在する千光寺で千満太の祖父の鬼頭嘉右衛門が描いた3つの俳句屏風を鑑賞するも、

  • むざんやな 冑(かぶと)の下の きりぎりす
  • 一つ家に 遊女も寝たり 萩と月

の2つだけしか判読できなかった。

金田一は残り二人の妹の命が危ないと心配したが、不審人物として島の警部に疑われてしまい留置所へ拘束されてしまった。その間、雪枝が釣鐘の中で首を絞められた状態で死んでいた。また、雪枝の通夜の最中、月代は祈祷所で祈祷を行っていたが、そこで月代の死体も発見された。死体の周囲には萩の花びらが散りばめられていた。

金田一は読めなかった最後の俳句が

  • 鶯の 身をさかさまに 初音かな

であることを判読すると、3つの俳句屏風と三姉妹の死との関連、和尚の「きちがい」という言葉が意味するのは「気違い」ではなく「季節違い」であることに気付く。

その後、金田一は鬼頭家周辺の人間関係を聞き込み、三姉妹の殺人事件の実行犯がそれぞれ和尚の了念、村長の荒木、医者の幸庵であることと、殺人を指示したのが鬼頭嘉右衛門であることを確信する。そして、殺人の動機は「鬼頭家を千万太のいとこの一に継がせる為には三姉妹が邪魔だったから」というものだった。

しかし、その後、生きていると思っていた一は実は戦死しており、結果的には三姉妹の殺人が無意味なものになってしまった。そのことを知った村長は島から逃亡し、幸庵は発狂してしまう。一方、最後にそれらを聞いた和尚はその場でショック死してしまう。

本作品で最も印象に残っている点は、現在ではほとんど使用されない差別用語である「きちがい」という単語が作中に頻発していることです。ただ、「きちがい」という同音異義語が作品の謎解きの大きな要素になっているため、映像化の際には差別用語を使用しないという配慮が難しくなっています。また、登場人物の会話の中にも表現の古臭さがあり、日常会話としての日本語が70年以上前と現在で違うのだなと感じます。

「差別調査はしません」なんてわざわざアピールする探偵事務所の古臭さ

また、現実の探偵の世界でも以前までは「差別調査」というものが存在していました。「差別調査」とは差別につながる相手の身元調査や素行調査のことです。つまり、差別を助長するような調査対象者の出身地や国籍を調査することで、当然禁止されています。

本来、そのような調査は昭和時代の関西地方の特定の地域だけしか需要がありませんでした。つまり、私が探偵になる頃にはとっくの昔に需要が無くなった調査でした。したがって、娘や息子の婚約者の調査というものはあっても、差別につながるような調査に関しては平成以降は調査の依頼や問い合わせもほとんどありません。

しかし、何故か探偵事務所の公式サイトでは調査の需要がないのにもかかわらず「差別調査はしません」などと記載されてあるのです。その理由は、探偵事務所が法令遵守しているというイメージを調査の依頼を検討している人に持ってもらいたいためです。もちろん、調査の依頼を検討している方がどのようなイメージを持つかどうかは分かりませんが、同業者からすると「依頼すらないのにわざわざ調査しませんなんて書くなよ」と感じてしまうのです。

ですから、「差別調査はしません」のような時代遅れなアピールをしている探偵事務所は法令は守るかもしれませんが、どうしても少し頭が悪くて不誠実な感じがしてしまうのです。

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