助手の名探偵殺しーそして名探偵は生まれた:歌野晶午ー

物語として読ませる推理小説作家・歌野晶午

こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は歌野晶午のそして名探偵は生まれたを紹介します。

まず、作家の歌野晶午ですが、その作品の特徴は「物語として読ませる」意識の高さにあります。つまり、「謎解きありき」「トリックの巧妙さありき」の作品ではなく、作品を仕上げるにあたって「最低限読者を退屈させない」という気遣いを感じます。「最低限読者を退屈させない」という気遣いがない作品は有名作家であってもやはりダメです。

ダメな作品を判別する基準のようなものはないのですが、傾向としては国内の作品よりも外国の作品の方が気遣いに欠けています。そして、現代の作品よりも古典(せいぜい70-100年前ですが)のほうが気遣いに欠けています。

理由は、外国の作品であれば、翻訳や死生観・宗教観の違いによる価値観の違いが存在する為、作家の気遣いを感じられないのです。また、古典作品であれば、おそらくですが、昔の作家ほど推理小説という当時としては新しいジャンルに向き合ったときに、やたら難しいことに挑戦する傾向にあった為、現代以上に「謎解きありき」の作品が多くなってしまっているのです。

雪降る夜の山荘で起きた密室殺人事件

それでは以下に作品のあらすじを紹介します。

探偵、影浦速水と助手の武邑たけむら大空は長野の山荘で起きた難事件解決のお礼として、山荘を所有する新興企業のオーナーである荒垣が催した社内懇親会に参加していた。雪の降る3月の中伊豆の萩宮荘で催された社内懇親会では総勢21名が参加し、荒垣の講和と速水の講演と食事会が開催された。懇親会の後、宴会ホールで荒垣が殺される。その間に宴会ホールを出入りする人の姿は見られず、ホールの窓から外へ出入りした痕跡もなかった。事件の犯人の特定は容易だった。その翌朝、今度は風呂場で影浦の死体が発見された。そして、影浦を殺害した犯人は武邑だった。

探偵と助手のコンビは数多くの作品で登場するのですが、助手が探偵を殺す作品は初めて読みました。

そして、どこか既読感のある平凡な事件とそのトリックも名探偵の助手殺しのインパクトを強くしています。

探偵という職業の分類

以下に印象に残った箇所を引用します。速水が探偵という職業について説明しています。

「探偵という仕事にしても、先程から何度も言っているように、犯罪事件の謎解きとは無縁なわけです。現実には、浮気の調査に、夜逃げした債務者の追跡、といった塩梅です。まあ私の場合は少し特殊で、警察の手伝いもしていますが、しかしそれにしてもタレコミ屋のようなもので、いわゆる名探偵というのは、あくまで空想上の存在です。そう、麒麟や龍と同列の、空想上の生き物なのです」

このように自分の立場は例外だか、本来、探偵は犯罪事件の謎解きとは無縁と言っています。実際にその通りです。勿論、現実の世界の探偵は例外すら存在しません。

ただ、いわゆる名探偵が空想上の生き物かと言うと、それは少し言い過ぎな感じがします。現実の探偵事務所に所属している探偵も、そのほとんどは凡人です。けれど、それでもやはり凡人を凌駕する忍耐力と集中力、体力と精神力のバランスに優れている探偵がいるのです。私は麒麟や龍を見たことはありませんが、名探偵は見たことがあります。

また、速水はこのようにも言っています。

「それはまあ、探偵という職業を分類すれば、堅気ではなくやくざのカテゴリーに入りますから、お二人のような普通のお勤めをしたいる方の目には怪しく映ることでしょう」

つまり、探偵なんてやくざと同じだよと言っています。やくざと同じではありませんが、やはり探偵というのはこのような偏見と共にある職業であることは否定できません。

偏見が生まれてしまう理由は、尾行や張り込みといった業務そのものがストーカー規制法や迷惑禁止条例に抵触するような恐れがあるという点だけでなく、営業面でも依頼者に対して嘘をつく、明らかに誇大広告ばかりという点にもあります。つまり、探偵個人や会社単体ではなく、業界全体が少し世間とずれているのです。

ただ、私が考えるそのような偏見が生まれてしまう最大の理由は、業界全体で抱えている世間とのずれた感覚を修正する気がそもそもないという点にあります。

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