「あの一行」だけではない本作品の魅力ー十角館の殺人:綾辻行人ー

叙述系トリックとは何か、そして、叙述系トリック作品との向き合い方

こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は「十角館の殺人:綾辻行人」を紹介します。

本作品は「殺人事件の現場に登場した名探偵の推理により犯人が明らかになる」といった推理小説ではなく、叙述トリックという推理小説の技法が用いられています。

叙述トリックというのは作者が読者の偏見や先入観を利用して読者の誤認を導くような文章や状況描写のテクニックのことです。しかし、誤認誘導のテクニックにおいて「何を、どのように誤認誘導させるか」という点が最も大きな作品の魅力なのですが、叙述トリックの作品は叙述トリックであることそのものがネタバレになってしまうので、作品の紹介が非常に難しくなります。

ですから、叙述トリックの推理小説は叙述トリックであることを明確にしないで「驚愕のラスト」とか「大どんでん返し」とか「終盤に怒涛の複線の回収」のように、あまり面白くなさそうに紹介されてしまうことが多いです。

そして、読み手が余計な予備知識を持たないで「気持ちよく騙されよう」という素直な気持ちで叙述トリックの推理小説に向き合うことが大事だと思います。

十角形の奇妙な館が建つ孤島で起きた連続殺人

それでは作品のあらすじを紹介します。

大分県J崎の沖合約5kの海上に浮かぶ無人島、角島(つのじま)にK大学推理小説研究会の7名の男女が訪れる。学生らは半年前に殺人事件が起きた現場で1週間過ごすという目的で角島に上陸し、島に唯一残る十角形の建物「十角館」を行動の拠点とした。半年前の殺人事件では館を設計した中村青司と妻、使用人夫妻が殺害された。犯人は明らかにはなっていないが、行方不明になった庭師が犯人と疑われていた。

そして、角島に来て3日目の朝、最初の殺人事件が起きる。犯人は誰なのか、お互いが疑心暗鬼になっていく中、推理小説研究会の会員らしく犯人を推理するも、殺人事件は次々と起きていった。5日目の夜、十角館での連続殺人は十角館の火災、全焼により終了する。翌日、島にいた学生6名の死亡が確認された。

重要なのは筋書きではなく枠組み

下記に印象に残った部分を引用します。作品冒頭の犯人の独白部分です。

どうあがいたところで所詮人は人、神にはなれない。神たらんと欲することはたやすいが、実際にそうあることは、人が人である限り、いかなる天才にも不可能だと分かっている。神ならぬものに、では一体、未来の現実をーそれを構成する人間の心理を、行動を、或いは偶然をー完全に計算し、予想しつくすことができようか。

世界をチェス盤に見立ててみたところで、人間たちを盤上の駒に置き換えてみたところで、読みには自ずと限界がある。あらかじめ微に入り細をうがち、どれほど綿密な計画を練っておいたとしても、いつどこでどのように狂ってくるか知れたものではないのだ。小賢しい計算による予測が十分通用するには、あまりにもこの世界は偶然に満ちすぎている。あまりにも人の心は気まぐれに満ちすぎている。

だからこの場合、望ましい計画とは、いたずらに己の行動を制約するようなものではなく、臨機応変な、なるべく柔軟性に富んだものでなければならないーと、それが彼の打ち出した結論であった。

固定的であることは避けねばならない。重要なのは筋書きではない、枠組みなのだ。その中で、時々の状況に応じて常に最適の対処が可能であるような、柔軟な枠組み。事の成否は、あとは己の知力と転機、そして運にかかっている。

これから人を殺そうとする人間の強い決断と熟慮と冷静さが感じられる部分です。

もちろん、殺人を行うにあたって用意周到な準備が不要ということではありません。むしろ、本作品では犯人の計画の緻密さに驚くばかりで、犯人の筋書き通りに物事が進んでいったようにも思われます。また、犯人が予想外の出来事に対峙した場合でも決して動揺することなく場を収めていきます。

小さなガラス瓶に詰めた計画の詳細と懺悔

作品冒頭の犯人の独白部分からもう一つ引用します。

透明な薄緑色をした、小さなガラス壜。

しっかりと栓をしたその瓶の中には、彼が己の心の隅々から搾り集めた、俗に良心と呼ばれるものの全てが詰め込んであった。折りたたまれ、封じ込まれた何枚かの紙片。彼が実行を予定している計画の内容が、そこにはぎっしりと細かい文字で書きこまれている。宛先なしの、告白の手紙……。

(分かっている。人は神にはなれない)

だからー分かっているからこそ、最後の審判は人ならぬものに託したかった。瓶がどこへ流れ着くか、その確率が問題ではない。ただ、海にーあらゆる生命を生み出したこの海に、最終的な己の良否を問うてみたいと思った。

風が出てきた。首筋を切りつけるその鋭い冷たさに、思わず身を震わせる。

ゆっくりと、彼は壜を闇に投げた。

これから人を殺そうとする人間がその殺害計画の証拠を残しています。

つまり、犯人は罪を犯した後で懺悔するのではなく、罪を犯す前に罪の告白をし、事に臨む前に迷いを払しょくし、精神状態をクリアにしようとしています。

また、犯人は作品中のセリフでこのようにも言っています。

「(中略)殺意なんていう極端な感情を長く心に維持し続けることは、普通に想像するよりもはるかに大変なことだ(以下略)」

犯人は殺害計画の実行には迷いがありませんでした。しかし、殺害計画そのものの善悪に関しては、海に投げ込んだ瓶が奇跡的に誰かの手に渡った時、自身が裁かれる可能性とともに暗闇の海に委ねたのでした。

「運」が足りなかった犯人と島田に委ねた事件の審判

犯人にとって一連の殺人は、筋書きにはない出来事は想定内としながらも、全体の枠組みから外れるような事態にはならないように細心の注意を払い続ける作業のようなものでした。

しかし、それだけでは不十分でした。完全犯罪を成立させるには、柔軟な枠組みと自身の知力と行動力と最後に「運」が必要だと犯人は認識していました。ただ、残念ながら運は犯人に味方しませんでした。全体の枠組みの遥かに大外からカットインしてきた人物、予測不能な偶然の末に事件と巡り合う島田の存在は犯人にとっても、ある意味では読者にとっても事件の真相を知るにふさわしい人物だとは到底思えなかったのです。

以下に作品のエピローグから引用します。事件の発生からだいぶ経過したころ、海岸で佇む犯人が島田に「事件の真相に関してひとつ面白いことを思いついたんだ」と告げられ、取り乱す場面です。

そうして彼は身を翻し、呼び止める男を背に、子供たちが遊ぶ浜辺へ降り立った。

自分でも情けなるほどに、心が乱れていた。

(馬鹿な)

彼は強くかぶりを振って、動揺を鎮めようとした。

そんなはずはない。気づかれたはずがない。それに、たとえあの男の想像力がたまたま真実に行き当ってしまったのだとしても、それがどうと云うのだ。何一つ証拠はないのだ。

今更何も手出しできるはずがない。

犯人の見解は間違いではありません。島田が知り得る条件だけでは犯人が十角館で起きた殺人事件に関与できた可能性が明らかになるだけであって、証拠がないのです。

(どうして……)

不安が、一瞬津波の隆起を見せる。濡れた砂が重く足に絡む。-と、その足下で、何かがきらりと光った。

(これは)

屈み込んでみて、彼は驚きに表情を凍らせた。それから、ふっと短く息を落とすと、ひきつった口許を淡く苦い笑みに変えていく。

それは、薄緑色の小さなガラス壜であった。波打ち際で、半分砂に埋もれたその壜の中には、折りたたまれた何枚かの紙片が見えた。

(ああ……)

彼はそれを拾い上げると、防波堤に腰かけたままこちらを見ている男の方をちらりと振り向いた。

(審判、か)

作品の最後の場面、犯人は自身で事件前に殺害計画をまとめた紙片を詰めた壜、暗闇の海に投げ入れた壜を皮肉にも自分で見つけてしまいます。

その時、犯人は事件の真相にたどり着いた島田に唯一決定的に欠けていた「証拠」を渡すのです。そして、海岸で遊んでいた子供に、

「あそこにいる小父さんに、これを渡してきてくれないかい」

と依頼するのでした。

犯人は事件の審判を全ての生命の源である海に委ねようとしました。ところが、犯人は自身で壜を見つけた時、完全犯罪の真相に最も迫った島田にその審判を委ねたのでした。

犯人の心情の描写が秀逸

本作品は推理小説が好きな人ならば読んだことがいないのではないかと思うくらいの作品です。冒頭に紹介した「叙述トリック」という単語が出てきた瞬間に思い浮かべる作品のうちの一つです。

しかし、私は本作品の素晴らしさは「犯人の心情の描写」にあると思います。犯人の独白シーンとなるプロローグとエピローグでは犯人の狂気・情熱・苦悩・絶望・覚悟といった感情が読み手が苦しくなるほど伝わりますが、文字数やページ数に無駄がありません。

本作品は「あの一行」のインパクトが強烈すぎる傑作です。しかし、叙述トリックの作品の為なのか、それ以外の素晴らしさが語られることがあまり多くないように思います。

タイトルとURLをコピーしました