フェア・アンフェア論争と叙述系トリックのさきがけ
こんにちは。管理人のエスポワールです。今回はアガサ・クリスティーのアクロイド殺しを紹介します。
本作品の肝は「自分(語り手)が犯人」ということです。ただ、語り手が犯人という物語自体は先例があるのですが、本作品におけるポイントは「語り手の手記という体裁をとりながら自身の犯行の描写が省略されていることはアリかナシか」というものです。
これがミステリー用語でいう「フェア・アンフェア論争」です。
フェア派の意見:横溝正史「フェアであろうがアンフェアであろうが面白いのだから仕方がない」
アンフェア派の意見:ヴァン・ダイン「作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者自身が読者を騙すようなトリックを仕掛けてはならない」(ヴァン・ダインの二十則)
「フェア・アンフェア論争」には既に決着がついています。もちろん、「フェア派」の勝利です。現代的な感覚では、「自分(語り手)が犯人」でも「自身の犯行の描写が省略されていること」でも全く問題ありません。
つまり、本作品は叙述系トリックのさきがけとしてその是非が大いに議論された作品であり、後の推理小説に大きな影響を与えた名作といえます。
小さな村で起きた連続殺人事件
それでは本作品のあらすじを紹介します。
9月17日の早朝、イギリスのどこにでもあるような田舎、キングス・アボット村で村の大地主であるフェラーズ夫人の死亡が確認された。フェラーズ夫人は未亡人であったが、村のもう一人の富豪、アクロイドとの再婚が噂されていた。フェラーズ夫人の検死を行なった私(ジェイムズ・シェパード医師)は死因を睡眠薬の過剰摂取とした。
その日の夜、アクロイドから食事会に招待された私はアクロイドから悩みを打ち明けられる。その悩みとは、再婚を考えていたフェラーズ夫人から「自分は夫を毒殺した」と告白され、さらに夫人はそのことで何者かから恐喝されていたという。
その時、アクロイドに一通の郵便物が届いた。差出人は今朝亡くなったばかりのフェラーズ夫人からだった。手紙を読み始めると、その手紙には恐喝者が誰であるか書かれているような内容であった。アクロイドは「手紙の続きは後で一人で読む」と言い、私に帰宅を促した。
その夜、アクロイドは殺害され、手紙も消えていた。
事件に関する手記をまとめていた私と村に引っ越してきた元探偵・ポアロはアクロイドの縁者や関係者を中心に聞き込み調査を開始する。
ポアロの名探偵らしくないセリフと女性に対する残念な偏見
つづいて、本作品から印象に残った個所を引用します。噂が好きな村人の中でも特にゴシップが大好きで情報収集力にも優れたシェパードの姉・キャロラインについて語った場面です。
「女性というものは驚くべき生き物なのです」とポアロは一般論を持ちだした。「彼女たちはいきあたりばったりに何かを思いつくーしかも、それが奇跡的に正しいのです。しかし、実は奇跡ではないのです。女性は無意識のうちに無数の些細なものを観察しています。しかも、本人はそのことを自覚せずに。女性たちの潜在意識は、そうした些細な事柄をひとつにまとめ上げますーその結果が、いわゆる直観と呼ばれるものです。この私は人間心理を熟知しているので、そうしたことがわかるのです」
このようにポアロは「女性の勘はするどい」という一般的に言われているような男女の違いを語っているのですが、これらは明らかに説得力に欠けます。しかも人間心理を熟知しているのならば絶対に言わないようなセリフです。
現在、科学的には男女で脳に違いがあることは分かっています。ただ、考え方や行動に及ぼす影響の大きさは性差だけで説明できない点がほとんどで、個人の行動や考え方には環境や教育などの多くの要因の影響を受けています。
ただ、このセリフが残念な点はポアロが科学的根拠に基づいたセリフではないからではなく、探偵らしくないセリフだなと感じてしまうところにあります。