元祖伊達男、伊達政宗の描かれた右目を巡って

右目が描かれる伊達政宗

こんにちは。管理人のエスポワールです。今回のテーマは伊達政宗です。

先日、大阪城を訪問した際、興味深い合戦図の屏風絵(の一部分)を見つけました。こちらです。

この展示資料の写真は大坂の陣に参戦した全国の戦国大名を紹介したもので、そこに描かれた政宗の絵です。ご覧の通り、政宗のトレードマークである右目の眼帯が描かれておらず、本人を格好よく描こうという配慮がないという点も素晴らしいと思います。

そして、解説にはこのように書かれています。

(政宗は)幼少の頃右目を失い、「独眼竜」と恐れられたが、本人は話が独眼に及ぶのを嫌い、肖像画に両眼を描くように遺言を残した。

この他にも、伊達政宗は外見や服装に関するエピソードが多く、両目が描かれた肖像画も残っています。

こちらは政宗の肖像画で最も有名なものです。

今回はそんな伊達政宗ゆかりの地を外見や服装にまつわるエピソードとともに紹介します。

刀のつばの眼帯は後世の創作

1567年、伊達政宗は現在の山形県米沢市で生まれます。こちらが米沢城跡にある政宗生誕の碑です。

政宗というと仙台のイメージですが、生まれは山形県です。関ケ原の戦い以降の全国的な大名の領土再編の時期から伊達家は仙台を本拠地としました。

政宗は幼少期に天然痘という病気により右目の視力を失います。ただ、政宗の頭蓋骨を分析した結果、視力を失った眼球を取り出した跡はなく、刀のつばを眼帯にしてた当時の記録や画像はありません。

政宗の右目に刀のつばの眼帯を付けたのは1942年の映画「獨眼龍政宗」からです。

視力を失った右目は正宗のコンプレックスであり、外見や服装にこだわる原因になります。

尚、アニメや漫画で描かれる伊達政宗は血気盛んな10-20台のイケメンな若者として描かれます。その理由は、戦国時代の中心人物である信長や秀吉・家康らと同時代に存在させようとすると、生まれの遅い政宗のビジュアルがどうしても若くなってしまう為です。

小田原参陣に遅れ、白装束で秀吉に謁見

本能寺の変の後、明智光秀を討伐した秀吉は信長の後継者としての地位を固めていきます。そして、1590年、秀吉は天下統一を目前にして小田原の北条氏を攻めていきます。

その際、既に北条氏の兵力を圧倒する戦力を持つ秀吉が全国の大名に「小田原城を攻めるので兵を出しなさい」と命令を出します。この命令は、「城攻めの応援に来なさい」という単純な意味ではなく、「我々に従うのかどうかを態度で示しなさい」というメッセージが込められています。

そこで政宗は小田原へ遅刻する訳ですが、その際、「殺される覚悟で来ました」と白装束で登場するのです。こちらです。

政宗のパフォーマンスが秀吉に気に入られたかどうかは分かりません。ただ、結果的には東北地方に秀吉の軍勢が押し寄せることはなく、伊達家も存続しましたが、領地は減らされてしまいました。

ただ、これを見た他の大名は「あいつは何を考えているんだ?」といった感じではなかったでしょうか。

こちらが小田原攻めの際の秀吉の本陣、石垣山城跡です。

ど派手な大名行列と伊達者

1592年、政宗は朝鮮出兵の際に黒と金色を基調としたど派手な軍装の大名行列を従えて上洛し、京都の人々を驚かせたと言われています。その様子が「伊達者」の言葉の語源です。

現代でも使用される「伊達」という単語には単純に「かっこいい、おしゃれ」という意味だけでなく、「外見だけ良く見せようとしても、中身が伴っていない」という意味もあります。

例えば、おしゃれだけれども機能性はない「だてメガネ」のような使い方や、誉め言葉としての「〇〇の実績はだてじゃない」のような使い方があります。

実際、朝鮮半島の戦の主力部隊は九州の大名や秀吉の側近の武将が中心で、政宗は後方支援の役割を担います。

しかも政宗が戦地から母親に書いた手紙には「朝鮮でのおみやげを探しましたが珍しい物はなく、色々考えましたが結局は木綿をもって帰ります」のような呑気なおみやげ探しエピソードまで残っています。

政宗の甲冑がダース・ベイダーのモデルに

続いて、仙台市博物館に展示されている政宗の甲冑を紹介します。こちらです。

こちらは正式名は「黒漆五枚胴具足くろうるしごまいどうぐそく」です。兜の前の飾りの部分は欠けている月を表しています。

ただ、こちらの甲冑の凄いところは、政宗が身に着けていたからではありません。この甲冑の兜と顔の部分が映画スター・ウォーズシリーズのダース・ベイダーのモデルになっているのです。

1975年頃、アメリカの映画関係者より「黒漆五枚胴具足」の写真を送って欲しいと依頼があり、当時の博物館の職員の方が写真をアメリカへ送ったそうです。

その後、1977年にスター・ウォーズが公開されて世界的なヒット作品となります。そして、作品のキャラクターや衣装等を紹介した関連書籍「STAR WARS−THE MAGIC OF MYTH−」が発表されると、ダース・ベイダーの構想段階でのデザイン案の箇所に政宗の「黒漆五枚胴具足」が紹介されているのです。

死後300年以上経過して政宗のセンスがジョージ・ルーカスに評価されました。

伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿へ行く

1636年、自身の死期を覚悟した政宗は最後に当時の将軍、徳川家光に謁見したいと江戸へ向かいます。政宗の衰弱した姿を見た家光は自身の主治医を派遣して政宗の治療にあたらせますが、努力も実らず政宗は江戸の仙台藩屋敷で亡くなります。場所は現在の日比谷公園です。

政宗は青葉城跡の麓、経ヶ峯の瑞鳳殿に伊達政宗は眠っています。こちらが瑞鳳殿です。

生前の政宗の意向がどの程度反映されているのか分かりませんが、見ての通り豪華絢爛な桃山様式の建築物です。現在の瑞鳳殿は1984年に再建されたものです。

その際、遺骨の保存状態が良好だったこともあり、実際に政宗の遺骨が解剖され、政宗の身長は159センチだったことが判明しました。当時としては標準的ですが現代的な感覚だとかなり小柄な体格です。

そして、その政宗の遺骨の映像がNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の最終回に登場しています。歴代の大河ドラマの中で「本人」が出演した唯一の例だそうです。

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