「物質的な証拠は解釈の仕方でどうにでもなる」なんて口が裂けても言えない-D坂の殺人事件:江戸川乱歩-

明智小五郎 が初めて登場した作品

こんにちは。管理人のエスポワール です。今回は明智小五郎が初めて江戸川乱歩の小説に登場した作品である「D坂の殺人事件」を紹介します。

本作品以降、明智小五郎は江戸川乱歩の発表する多くの作品で登場していく訳なのですが、明智小五郎のキャラクター設定が作品によってその都度マイナーチェンジしています。また、もじゃもじゃ頭という外見の特徴は一連の作品において共通する特徴です。

SMプレイで人が死んだという作品

それでは作品のあらすじを紹介します。

明智小五郎は多くの本に囲まれたタバコ屋の2階の部屋に住む貧乏学生で、東京のD坂の喫茶店・白梅軒にて主人公である「私」と知り合う。その白梅軒にて「私」と明智小五郎は店の向かいの古本屋で発生した女性の殺人事件の第一発見者となる。

「私」と明智小五郎は警察への通報、及び第一発見者として事件現場の検証に立ち合うものの、犯人は特定できずその日は解放される。

「私」と明智小五郎以外に登場する主な事件に関連する人物は下記のとおり。

  • 古本屋の妻

事件の被害者。身体に多くの傷がある。

  • 古本屋の主人

事件時は不在。妻に対して虐待の疑いを喫茶店の従業員から持たれている。

  • 工業高校の生徒

犯人らしき人物を目撃するも証言が曖昧。

  • アイスクリーム屋の主人

古本屋の裏口でアイスクリーム屋を営む。事件当時に古本屋に出入りした人物はいないと証言する。

  • 蕎麦屋の主人

古本屋と同じ長屋で経営する蕎麦屋の主人。古本屋の主人と同様、妻に対して虐待の疑いを喫茶店の従業員から持たれている。

  • 蕎麦屋の妻

古本屋の妻同様、身体に多くの傷がある。

事件から十日後、「私」は明智小五郎が事件の犯人ではないかという疑いの元、明智小五郎の部屋を訪問する。しかし、「私」の推理は明智小五郎からすると、非常に外見的で物質的なもので、内面的・心理的なアプローチに欠けているという。

明智小五郎によれば、事件の犯人は「蕎麦屋の主人」であるという。その最大の理由は、被害者と蕎麦屋の妻に共通する体の傷。そこから二人の女性のマゾヒズムと蕎麦屋の主人のサディズムを確信する。つまり、事件の真相は蕎麦屋の主人と古本屋の妻のSMプレイによる事故死であると断定する。

「私」は明智小五郎の異様な推理に驚愕したのもつかの間、明智小五郎の下の階のタバコ屋の女主人が夕刊を持ってくる。その夕刊には先日の事件において蕎麦屋の主人が犯行を自首したことが記事になっていたのだった。

これが日本の推理小説を代表する名探偵、明智小五郎のデビュー作です。割と平凡な話の展開だと感じたのですが、最後にSMプレイが事件の真相という強引さに驚きます。

しかし、そんなエログロも当時の江戸川乱歩の作風であること、そして、当時の日本の大衆文化の特徴の一つでもあることは読後に知りました。

明智小五郎によれば「人の心の奥底を見抜くことが一番いい探偵法」らしい

以下に印象に残った明智小五郎のセリフを紹介します。

物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうにでもなるものですよ。いちばんいい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜くことです。だが、これは探偵自身の能力の問題ですがね。

この発言は探偵として少しいただけないです。探偵の仕事をしていく上で調査対象者の心理を考えることは確かに重要ではあるし、それが探偵自身の能力によるものであることも少しは理解できます。しかし、物質的な証拠を「解釈の仕方でどうにでもなる」と切り捨ててはいけないのです。

物質的な証拠という裏が取れていない限り、心理的なアプローチが物事の解決に優先される事は常識的に考えてありえません。この辺りにヴァン・ダインの作品に登場する探偵、ファイロ・ヴァンスの影響を感じます。

さらに、「心理的に人の心の奥底を見抜くことがいちばんいい探偵法」なんて言ってしまうのは、物質的な証拠探しを放棄した怠慢な振る舞いだと感じます。

尚、題名の「D坂」とは文京区の団子坂のことです。江戸川乱歩は作家としてデビューする前、団子坂で古本屋や蕎麦屋を経営していたのでした。

現在の団子坂では古本屋や蕎麦屋はありませんでした。

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