長岡の街と郷土の英雄、山本五十六を巡る旅

新潟県長岡市は夏の花火と冬の豪雪の街

こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は新潟県長岡市と郷土の英雄、海軍大将の山本五十六ゆかりの場所を紹介します。

新潟県の長岡駅を出ると花火の打ち上げ筒がありました。花火で有名な長岡の街らしいモニュメントだと駅から出てすぐに感じました。

長岡花火は「長岡復興祭」をその前身とし、昭和20年8月1日の長岡空襲で亡くなられた方の慰霊と、街の復興に尽力した先人への感謝がその祭事のルーツにあります。人口30万人の長岡市に例年2日間で100万人もの人が訪れ、3万枚の有料指定席は申込後、抽選により販売されています。

こちらの写真は雁木という商店街の雪除けの屋根です。訪問したのは春先でしたが、長岡の街が豪雪地帯であることが感じられます。

こちらは長岡市内の道路の写真です。見ての通り、道路の色が赤いのです。まるで鉄が錆びたような色をしています。 長岡の街に降る雪をポンプでくみ上げた地下水で溶かしており、地下水に含まれる成分がアスファルトを変色させる為です。

スーパーエリート山本五十六の現状分析と「水からガソリン事件」

長岡の郷土の英雄、海軍大将の山本五十六に関して知っていることは真珠湾攻撃を敢行した指揮官で、戦時中に亡くなった軍人といった程度でした。しかし、山本五十六は海軍でスピード出世しただけでなく、ハーバード大学へ国費留学した経験もある当時のスーパーエリートで、日本とアメリカの軍事力の差を十分認識していた人でした。

開戦前の段階でも、当時の近衛文麿総理に

「戦争をやれと言われれば初めの半年、1年は十分に暴れることができるけれど、そこから先は確信持てません」

近衛日記より

という発言をしています。

また、戦時中でも、中学の同級生に宛てた手紙に

「アメリカは国力と国民の気力において日本より数段強靱」

との記述があります。

つまり、真珠湾攻撃から始まる大東亜戦争は当時の海軍大将の分析からでも「勝ち目のない戦争」だったことが分かります。

しかし、当時このように冷静に分析をしていた海軍大将の山本五十六でしたが、一方で開戦直前に山本が「水からガソリンを生成できる」と吹聴する詐欺師に騙されてもいました。海軍大将でスーパーエリートの山本五十六が詐欺師に騙されたことがどこまで真実で、どの程度歴史に影響を与えていたのかは分かりませんが非常に興味深いエピソードです。

山本五十六記念館と山本記念公園

こちらが山本五十六記念館の外観です。敷地内の駐車場はそれほど広くありません。館内の最大の見どころは実際に山本五十六が撃墜された飛行機の左翼と、実際に乗っていた座席の展示です。

山本五十六記念館から歩いて数分の場所にある山本記念公園には、山本五十六の銅像の他に、山本五十六の生家の再現が再現されていて、無料で見学ができます。

当時の家は天井が低く、172センチの身長の私でも天井が非常に低く感じました。

また、写真のように2階に上がれるのは3名までと注意書きがあります。強度の低い当時の家屋を補修・補強をしないで残していることが素晴らしいと思います。

こちらは当時の台所の様子。

こちらは勉強部屋。

何故か部屋の中に山本の銅像の型らしき物が鎮座していました。怖すぎます。

多磨霊園の山本五十六の墓へ

山本五十六の墓は東京の多磨霊園にあります。多磨霊園は広大な墓地ですが、山本五十六の墓は東郷平八郎らと共に国家的功労者を埋葬した名誉霊域にあります。

墓石の文字は国葬委員長を務めた、内閣総理大臣・海軍大臣の米内光政の揮毫です。

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