仙台大観音の概要
こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は仙台市にある仙台大観音を紹介します。
私は子供の頃から多くの転居を経験していますが、子供の頃に住んでいた仙台市は思い入れの強い街の1つです。仙台大観音の現在の姿と仙台大観音が創建された91年に近所に住んでいた当時の記憶を振り返りながら紹介していきたいと思います。
仙台大観音は仙台市北西部の住宅地に立つ巨大な観音像で、以前は何もなかった周辺一帯の宅地開発を進めた双葉綜合開発のオーナーである菅原氏の発案により建立されました。つまり、こちらの観音像は個人(実業家)由来の建物であり、潤沢な資金を持つ歴史ある宗教法人に由来するものではないのです。
尚、双葉綜合開発は2000年に石原建設(本社・東京)と合併して環境建設株式会社となり、環境建設株式会社も2004年に倒産しています。また、仙台大観音は宗教法人として倒産前に双葉綜合開発グループから切り離されています。
仙台大観音へ行く
仙台大観音に到着しました。仙台大観音の正式名称は「仙臺天道白衣大観音」らしいです。読み方は「せんだいてんどうびゃくえだいかんのん」です。
こちらの観音像は内部見学が可能となっています。観音像の足元の龍の口から入館します。
守護礼料の500円を支払い入館します。
エレベーターで一気に最上階まで登り、階段やスロープを下りながら館内を見学していきます。
このような感じで観音像内部は百八体の仏像が展示されています。「如来」・「菩薩」・「明王」・「天部」といったの仏様が勢ぞろいしています。展示をじっくりと見ていくと仏さまの種類や姿の特徴がよくわかると思います。
ひっそりと創建者である菅原氏の写真がありました。
仙台大観音を建てた実業家の見栄と欲望
改めて仙台大観音へ行ってみて思うことは、ここには神社仏閣を訪問して感じるような神聖さを全く感じないということです。つまり、今風にいう「パワースポット」的な場所ではないのです。その理由は観音像の歴史が浅く、バブル景気を背景に成功した実業家の見栄や欲望が垣間見えてしまうからです。
創建者の菅原氏が仙台大観音を建立した理由は「日頃から信仰していた観音様のおかげで事業が成功したという感謝の気持ちを表すため」ですが、それは建前だと思われます。本当は丘陵地を切り開いて開発して街づくりをした自分の力を誇示したかったのです。
仙台大観音の地上100mの高さは「仙台市が89年に市政100周年を迎えたこと」に由来し、観音像が地下21mの深さまで掘られて建設した理由も「21世紀の繁栄を願っているため」に由来しています。もちろん、それも建前です。とにかく大きくて目立つものを作りたかっただけなのです。
仙台大観音と地下部に埋められたタイムカプセルを見て感じたこと
こちらは仙台大観音の内部に展示してある、1991年当時に埋めて掘り出したタイムカプセルの中身です。初代ファミコンと用語事典の知恵蔵が懐かしいです。1991年がもうすでに遠い昔であることを感じます。
そして、このタイムカプセルを見た時、自分が昔からずっと仙台大観音を悪趣味でセンスの悪いバブル期の負の遺産の象徴のような見方をしていたことに気づいたのです。仙台大観音は完成当初から既に悪く言われ、嘲笑の対象だったのです。
具体的には、「サイズが大きすぎる為に景観が損なわれる」とか「住宅地に立つアンバランスさが不気味すぎる」というものでした。さらに、観音像はその外観から「右手にゴルフボール、左手にとっくりを持つ」とまで揶揄されました。当然、あれだけのインパクトのある外観があるにもかかわらず、まともな観光ガイドブックからはことごとく無視され続け、観光案内などで紹介されることもありませんでした。
さらに、観音像の完成後間もなくバブル経済が崩壊しますが、巨大な観音像を建てたセンスの悪さに対する非難と、最後は運営会社が倒産しまうという惨めな現実を25年以上仙台大観音は受け止めてきました。ただ、四半世紀の月日はいくらなんでも長すぎます。
つまり、最近ではB級観光地として紹介されることもある仙台大観音ですが、この観音像はもうすでに十分すぎるほどの悪評と苦難を受け続けたと思うのです。そして、観音像が向き合っているバブル期の反省や禊はもうとっくに終わってよいと思うのです。
そして、バブル期とは言え個人の力で仙台市の市街地を一望できる巨大な建築物を作るという夢や欲望や活力がこの場所にあったということはやはり凄いことです。