後楽園訪問記ー進駐軍の管理下に置かれた時期には25mプールもあったー

日本三名園シリーズ3回目は後楽園

こんにちは。管理人のエスポワールです。日本三名園シリーズの3回目は岡山県の後楽園です。

岡山県の後楽園は1700年に完成した岡山藩の大名庭園です。日本三名園をそれぞれ比較した場合の後楽園の特徴は、庭園の外の岡山城を背景に取り込むことによる景観が形成されている点です。このような造園技法を「借景(しゃっけい)」と言います。

このように、後楽園の他に城を借景とする有名な庭園として、彦根城を借景とした玄宮園があります。

後楽園の名前の由来は中国の政治家、范仲淹(はんちゅうえん)の書物からの援用

後楽園の名前の由来は、中国の政治家である范仲淹の書物の一文、「 先憂後楽 」からの援用です。

真に優れた人物は環境や個人のそのときどきの立場によって感情を左右されてはならず、
「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」ものである

つまり、「心配事を先に心配し、楽しい事は後で楽しむ」の精神が後楽園の名前の由来ということになります。

また、東京ドームの前身である「後楽園球場」の知名度が全国区であった為、「 後楽園」というと都内の小石川後楽園及び後楽園球場の認知が一般的には定着していますが、こちらの名前の由来も同様です。

日本には有名な後楽園が二つある点が紛らわしく感じます。

戦後は進駐軍に25mプールまで作られてしまう屈辱の歴史

後楽園の見どころは庭に大量の芝生が使われている点にありますが、造園当初は田畑が多く、庭園に芝生が使われるようになったのは明治以降のことです。

また、戦時中は食糧不足により芝生の大部分を芋畑に転換したり、終戦後に至っては庭園が進駐軍の宿舎に利用され、25mプールが作られた時期もありました。

しかし、進駐軍の撤退後は2億円の費用を投じて本来の景観への復元が進み、1967年には園内のほぼすべての建造物の復元が終了しました。

季節ごとに楽しめる園内の豊かな花木

園内では多種の植物が管理されており、四季を通じて何かしらの花が見ごろを迎えています。訪問した6月上旬は花菖蒲と紫陽花が見ごろを迎えていました。

花菖蒲は80品種。3000株が植えられているそうです。

梅の花は咲いていませんでしたが、木の下に梅の実がたくさん落ちていました。

岡山城へ行く

後楽園の見学後は当然岡山城へ向かいます。岡山城は戦時中の空襲で天守が喪失し、現在は鉄筋コンクリートで復元されています。

このように、城の中にエレベーターや水洗トイレが完備されています。

こちらが岡山城から見た後楽園です。後楽園の全景が奇麗に見えるわけでもなく、こちらの方は少し期待外れでした。

タイトルとURLをコピーしました