現代の顔認証システムと日本の歴史上初の指名手配犯、江藤新平を巡る旅

中国で20年間逃亡し続けた美人殺人犯が捕まる

こんにちは。管理人のエスポワールです。先日気になる中国のニュースを見つけたので紹介します。

20年逃亡続けた「美人殺人犯」が捕まる、中国警察「ビッグデータ捜査の勝利」( https://www.afpbb.com/articles/-/3261314 )

この記事によると、20年間逃亡していた強盗殺人犯は高性能の顔認証技術をもつ監視カメラによってその姿を補足され、殺人犯をカメラ1台1台がリレー形式で追跡し、その行方が限定されていったことで逮捕に至りました。

現在、中国では天網という2億台の防犯カメラネットワークが構築されていますが、カメラの高性能化により20年前の容姿でも群衆の中から本人らしき人物をある程度選別できるまでになりました。カメラの高性能化というと高倍率や暗視機能や動体検測などをイメージしますが、顔認証技術とビッグデータの活用により「被写体が奇麗に撮影できる」の次元ではなく、「被写体が何者か」まで分かるようになってしまいました。

20年前の犯人が補足できるのですから、中国政府の管理する個人情報データベースに登録があれば、カメラに映った現在の容姿と人物の照合はほぼ間違いなく一致すると思われます。

名前だけでもなんとなく覚えたい、身近にいるかもしれない指名手配犯

続いて日本の事例を紹介します。

こちらは駅などでよく見る指名手配犯の写真です。中国の事例と比較すると相当時代遅れな感じがしますが、日本では防犯よりもプライバシーの保護の観点から防犯カメラの映像データの活用・運用が制限されています。

それにしても、このようなポスターがきっかけで市民の情報提供により犯人の逮捕に至るケースはどれほどあるのでしょうか。ポスターの写真は犯行以前の撮影だから、現在の犯人の容姿と大きく乖離している可能性が高く、また、犯人も自身の指名手配写真を見ているだろうから、変装とまではいかなくてもイメージチェンジくらいは意識すると思われます。しかし、写真よりもむしろ「見立真一」とか「小原勝幸」のように名前を意識下に刷り込む効果はあるかもしれません。

日本では本名を隠して長期間生活するのはかなり難しいと思います。運転免許証の発行や保険証を利用した医療サービスや年金の受給は行政サイドで犯人の名前が登録されているだろうから当然利用不可。賃貸アパートの契約や日雇い労働の就労手続きの際、契約主や雇用主が犯人の名前に気付いた時や、偽名の疑いを持った時が逮捕のきっかけになるかもしれません。

前置きは長くなってしまいましたが、指名手配写真にゆかりのある人物、幕末に活躍した佐賀藩の江藤新平を紹介したいと思います 。

佐賀で生まれ、幕末の動乱期の功績により新政府の司法卿へ

こちらの写真は江藤新平の生誕地跡の写真です。現在は当時の面影もなく奥に見える家屋も現在は一般の方の住居となっています。

江藤新平は幕末の動乱期に佐賀藩の役人として明治維新、戊辰戦争へ積極的に関与し、新政府では司法卿として民法や司法制度の近代化を進めます。そして、フランス民法を「誤訳を恐れずに、ただ速訳せよ」と命じてフランス民法をベースに日本の民法制度を短期間でまとめました。また、司法権を行政権から独立させ、司法権・立法権・行政権の三権分立を実現させたのも江藤新平の功績です。

しかし、征韓論に絡んだ明治6年の政変により西郷隆盛や板垣退助らとともに下野します。

佐賀の乱と手配写真により捕まった江藤新平の最期

佐賀の乱は1874年に起きた江藤新平をリーダーとする不平士族の反乱です。不平士族の反乱というと1877年の西郷隆盛の西南戦争が有名ですが、佐賀の乱はその3年前の出来事ということになります。

こちらは佐賀城の城門に残る佐賀の乱の際の弾痕です。政府軍に反乱を鎮圧されて逃走する江藤新平は鹿児島県の西郷隆盛に助けを求めるも、西郷隆盛はそれに応じず、その後、江藤新平の手配写真が出まわっていた逃走先の高知県で捕まってしまいます。

こちらは佐賀県立森林公園内にある江藤新平が処刑され、さらし首にされた場所です。運動場の片隅に処刑場所の名残があります。さらし首になった江藤新平の画像はネット上にあるので興味のある方は検索してみてください。

こちらが佐賀市内本行寺にある江藤新平の墓です。このように、手配写真の使用による犯人の逮捕に日本の警察組織の近代化を感じる一方で、さらし首のような前近代的な公開処刑、処罰が行われたことに時代の過渡期を感じます。

ただ、興味深い点はこのような写真手配制度を作ったのが司法卿時代の江藤新平自身だったということです。

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