兼六園訪問記ー園内にある二つの日本最古ー

日本三名園シリーズ1回目は兼六園

こんにちは。管理人のエスポワールです。日本三名園シリーズの1回目は石川県の兼六園です。

石川県の兼六園は17世紀に完成した加賀藩の大名庭園です。日本三名園をそれぞれ比較した場合の兼六園の特徴は、他の二つを凌駕する250万人という年間入園数です。後楽園はおよそ88万人、偕楽園はおよそ99万人です。いずれも2017年の数字です。

今回は兼六園の名前の由来と、兼六園内ではあまり存在感のない噴水と存在感際立つ日本武尊の銅像を紹介します。

兼六園の名前は中国の書物の一文に由来する

兼六園の名前の由来は、中国の詩人、李格非(りかくひ)が書いた、「洛陽名園記」の湖園という庭園の紹介文、

「広々としていれば静かな奥深さはなく、人工的であれば古びた趣は少なくなる。また、池や曲水や滝が多ければ、遠くは眺められない」それらの六つの景観を兼ね備えているのは湖園だけである。

に由来しています。

つまり、兼六園は「広くても静かで奥が深く、人工的でも古びた趣を失わず、池や滝があっても遠くを眺めることができる」という六つの要素を兼ね備えた庭園ということになります。

日本最古の噴水が兼六園にある

こちらが兼六園にある日本最古の噴水です。

この噴水は兼六園の中心部にある霞が池からの水圧だけで3.5mほどの高さまで水を噴出しています。つまり、人工的なポンプを使って水を上にあげているのではなく、噴水のある場所と霞が池の水面との高低差による水圧で噴水ができているのです。

その為、実際に歩いてみると分かるのですが、兼六園は敷地内で結構高低差があるのです。そして、噴水を目の当たりにすると、この場所が霞が池より低い位置にあることが不思議に感じます。

日本最古の銅像が兼六園にある

こちらが兼六園にある日本最古の銅像です。

銅像のモデルは全体的に丸みのある体型から女性のようにも見えるのですが、古代史の伝説的英雄である日本武尊(ヤマトタケル)です。そして、この銅像は西南の役で戦死した石川県出身者の兵隊を祀るために建てられたそうです。日本武尊の銅像が女性の銅像に見えた理由は、日本武尊が九州の豪族である熊襲の討伐の際に女装をして近づき暗殺した伝説に由来します。

「けれど、それってどうなの?」というのが私の感想です。

理由は、日本武尊と西南の役との関連がそもそも薄いように感じるだけでなく、石川県・加賀藩・前田家何れも無関係だからです。そして何より、1880年に建てられた慰霊碑の存在そのものが兼六園にとって余計なもののように感じるのです。

つまり、日本武尊の銅像が兼六園の美しさのノイズになっていて、庭園の美しさを乱しているように思えるのです。

兼六園に詳しい方にとって日本武尊の銅像の存在がどのように感じるのか聞いてみたいです。

尚、日本で最も有名な銅像とも言える上野公園の西郷隆盛の銅像は日本で3番目に古く、2番目は靖国神社の大村益次郎の銅像です。

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