宇和島城訪問記ー旅行計画に組み入れる難しさと古城の佇まいー

現存天守12城シリーズ4回目は宇和島城

こんにちは。管理人のエスポワールです。現存天守12城シリーズの4回目は愛媛県宇和島城です。

愛媛県宇和島市にある宇和島城は伊達政宗と側室の間に生まれた長男の伊達秀宗を初代藩主とする伊達家の居城です。歴代藩主の中では幕末の四賢候と呼ばれる8代目藩主の伊達宗城が有名です。幕末の四賢候とは幕末に幕府の政治に参画した4名の外様大名のことです。他の3名は土佐藩の山内容堂と薩摩藩の島津斉彬と福井藩の松平春嶽です。

そして、現存天守12城の中で最も西端と南端に位置しています。

伊達家というと仙台のイメージがどうしても先行しますが、宇和島藩の伊達家は仙台藩の分家という扱いではなく、徳川家から直接領土を与えられたという経緯から、決して対等ではなくても仙台藩とは関係なく独立して誕生したと解釈されています。

なお、仙台藩の居城である仙台城は当時としては珍しく、最初から天守がありませんでした。

城好き旅行者の宇和島城訪問における問題点

城好き旅行者の宇和島城訪問における問題点はスケジューリングです。

つまり、1泊2日しか日程の確保できない一般的な大人が愛媛県を訪問する時、遠方から訪問するような旅行者であれば、一回の旅行で宇和島城と松山城の2つを必ず訪問したいと考えます。

しかし、松山市内が宿泊の拠点になることと、松山城と松山市内を観光することを計画に入れて、松山市と宇和島市の往復の移動時間を考慮すると、宇和島城の訪問時間が極めて短時間になりやすいのです。

このように、日本に12しかない現存天守が愛媛県に2つあるというアンバランスがこのような問題を引き起こすのです。もちろん、スケジューリングも旅行の楽しさの大きな要素でもあります。

上り立ち門と宇和島城天守

こちらが宇和島城南側に位置する上り立ち門です。

こちらの門は薬医門という種類に分類される、武家屋敷に用いられた様式になります。また、この上がり立ち門が天守と同様に現存する貴重な文化財で、日本に存在する薬医門の中では非常に古く、かつ、最大クラスの門と言われています。

門をくぐって小高い山の上に立つ天守まで山道を登っていきます。訪問した当日は天気が悪く、雨でぬかるんだ山道をひたすら登っていきました。

こちらが宇和島城の天守の写真です。

宇和島城の天守は1666年頃に修築され、直近では1962年に改修修理されました。宇和島城の天守の特徴は石落としや弓矢や鉄砲を撃つための穴がないことです。つまり、戦闘を意識した城ではなく、大名の権威や権力としての象徴としての役割をこの天守が果たしていたということになります。

宇和島城の苔むす石垣と草木が生い茂る古城の佇まい

こちらが宇和島城の石垣の写真です。実はこちらの苔むす石垣と整備開発が進んでいない森の様子が宇和島城の宇和島城らしさを感じるポイントです。

天守まで山道や森を抜けて辿り着く現存天守はこちらの宇和島城と備中松山城の2つです。訪問する際は歩きやすい靴を履いていくと良いと思います。

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