社会派推理小説とは何か
こんにちは。管理人のエスポワールです。今回は松本清張の「ゼロの焦点」を紹介します。本作品は1959年に発表された作品です。作者である松本清張の作品は社会派推理小説と称されたり、分類されることが多いです。
また、社会派推理小説の意味ですが「社会情勢や社会問題を作品に落とし込んだ推理小説」といった、やや曖昧な認識で良いと思います。そして、推理小説は「本格派」「社会派」「ハードボイルド」のようなカテゴリー分けをされることがありますが、その境界線もかなり曖昧です。もちろん、「本格派を標榜した作品であればその分社会派的な要素が薄くなっていく」というな事もなく、それぞれが相反する、対立するような分類でもありません。
また、本作品に代表される社会派推理小説では「貧困」や「差別」といった社会問題をテーマにした作品が多いです。
作者の作品では過去に「点と線」を紹介しています。
普通の主婦が夫の失踪の謎を追っていく
それでは作品のあらすじを紹介します。
1958年の秋、主人公の板根偵子は10歳年上の鵜原憲一とお見合いをする。憲一は禎子よりも10歳年上で、終戦後に中国から戻った後、いくつかの職業を経て現在はA広告社の北陸支店に勤務している。禎子の家族は憲一が生活している金沢が遠いという点が気がかりであったが、東京本社に転勤が決まっている事を聞いて縁談に前向きになる。禎子は憲一の過去や人柄など、分からないことが多い事が気になったものの、その縁談を承諾した。
二人は11月半ばに式を挙げた。縁談が決まってから挙式まで二人きりで会う日は一度もなかった。新婚旅行の10日後、偵子は業務の引継ぎの為に金沢へ向かう憲一を上野駅で見送る。その時が偵子が憲一を見た最後だった。
行方不明となった憲一を心配した禎子は勤務しているA広告社の青木と共に金沢へ向かい、憲一の後任となった本田と地元警察や取引先などを訪問し、失踪した背景を探り、憲一の生活環境を少しづつ明らかにしていく。一方、憲一の兄の宗太郎とは金沢で合流するも、「あいつは自殺なんかする奴じゃない」と楽観的であった。
その後、有力な手掛かりがないまま東京へ戻った禎子は、宗太郎の妻から「宗太郎とも連絡が取れなくなってしまった」と相談され、義兄の自宅を訪問する。そんな時、宗太郎の自宅に「宗太郎が亡くなった」という電報が金沢警察署から届いたのだった。
本作品では頭脳明晰な探偵や刑事は登場しません。作品の主人公の禎子はあくまで一般人の立場から夫の行方を追っています。本来、推理小説では絶対に名探偵ポジション的な異次元の推理力と持つ主人公が必要という訳ではありません。ただ、異次元の推理力を駆使するキャラクターと共に読み手も謎に挑戦したいというニーズもかなり存在するので、好き嫌いが分かれるところです。尚、私は「異次元の推理力を持つ主人公不要派」です。
本作品のキーワード「パンパン」
本作品では「パンパン」という現在では全く使われない日本語が登場します。パンパンとは戦後の混乱期に生まれた米軍相手の日本人売春婦の蔑称です。つまり、現代で言う「立ちんぼ」のような存在ですが、当時の社会常識や貞操観念からすると、パンパンには「戦勝国であるアメリカの兵隊に媚びを売る恥ずべき存在」のようなイメージが定着していたのだろうと思います。
また、そんなパンパンですが、街の風紀が乱れるといった理由で取り締まりが行われることがあり、それを通称「パンパン狩り」と呼んでいました。本作品では憲一はパンパン狩りの業務に従事していた過去があり、業務を通じて知り合う元パンパンとの関係が完全に解消されないままに縁談に臨んだことが悲劇の始まりでした。もちろん、憲一のやったことはお見合いのルールを破る禁止行為ですが、経済的に困窮した女性との間にできた恋愛関係を解消するには思いのほか難しく、情が移りすぎてしまったのでした。
本作品は1958年の物語という年代設定で、憲一の失踪事件を通じて終戦直後に「パンパン」として生きていくしかなかった困窮極まる女性の存在と、終戦から10年以上経過しても一向に生活が改善しない元パンパン女性の現状、一方でパンパンから経済的に成りあがった女性の存在も描かれています。
本作品は単なる謎解きをテーマにした小説ではなく、「驚異的な経済成長を成し遂げた日本社会の陰で未だに引きずる戦後混乱期の闇」を描いた作品なのです。
現在の探偵事務所の婚前調査で出来ることは少ない
続いて、本作品の中から印象に残った個所を引用します。主人公の偵子が憲一の金沢での同棲相手であった田沼久子について調べるべく地元の役場を訪問した場面です。
「高浜町字末吉の田沼久子さんの戸籍のことでおうかがいしたいのですが」
偵子が言うと、事務員はこの町では見ない顔だとばかり、珍しそうに彼女を眺めたが、それでもひょいと立って、戸棚から何か厚い帳簿を探して持ってきた。
このように、本作品では現在と比較して個人情報の管理、戸籍の扱いがいい加減すぎる様子が描かれています。
現在では他人の戸籍を拾得できるのは弁護士などの法律関係者が業務を遂行するために必要な場合に限り認められており、一般人が他人の戸籍を閲覧することはできません。もちろん、探偵でも昔はできたのですが、現在は戸籍の取得は不可能です。
ですから、現在では業務内容の一つとして婚前調査を紹介しておきながらも調査実績はごく僅か、ほとんどないという探偵事務所が普通です。実は私も片手に数えるほどしか経験がありません。結局、行政や企業が個人情報を厳格に扱うようになった事により探偵事務所が調査できることが少なくなってきているのです。
しかし、調査実績がほとんどないにもかかわらず婚前調査が可能であると公式サイトで宣伝する一部の探偵事務所があります。もちろん、尾行調査をある程度継続すれば浮気相手の有無・家族構成・勤務先・所有車両・通院している病院・アルコールやタバコの購買状況・ギャンブルや風俗が好きかどうかなどの行動調査関連はある程度分かります。しかし、仕事仲間や近所からの評判といった聞き込み調査などはほぼ不可能です。また、本籍地や離婚歴の有無、職歴や学歴といった身元調査もほぼ不可能です。
また、割と多い質問で「恋人の携帯電話の番号を知りたい」というものがあります。こちらは完全に依頼者側に問題がある事例で、こちらも不可能です。そもそも携帯電話の番号すら知らないというのであれば恋人ですらありません。