端役の使用人が犯人であってはならない。そのような立ち位置の人物が犯人ならば小説にするほどの価値は生まれない。
重要度C
使用人が犯人であっても特に問題ありません。使用人は雇っている家族の行動パターンや犯行現場や家の構造などを最もよく理解しており、読者に対して貴重な情報提供者として重宝されるキャラクター設定です。それ故、使用人は読者からも探偵からも常に疑われる存在になるのですが、「やっぱり使用人が犯人だった」というような結末でもおもしろければ全く問題ありません。ましてや「小説にするほどの価値は生まれない」は言い過ぎです。
いくつ殺人事件があっても、真犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
重要度B
真犯人が一人でなければならないというのは当然だと思っていたのですが、実はそこまで重要なルールではないような気がします。例えば、「子供の犯行に気付いた両親が子供に悟られずに犯行を隠蔽し、自分の犯罪として探偵を誤認誘導させるような話」とかはいかがでしょうか。
探偵が登場する作品においては、秘密結社など非合法の組織が犯人役であってはならない。組織が犯人では金銭などの援助を受けられる為アンフェアである。
重要度B
犯人役が非合法の組織であってもストーリーが面白ければ特に問題ないと思います。ただ、あまりにも「スパイ・CIA・KGB・モサド」のような単語が出てくると、つまらないというよりも安っぽく感じます。金銭の援助に関しても極端な資産家の存在が推理小説の非日常を作り出せる場合があるので、状況設定としてはアリでも仕掛けやトリックに大掛かりな資金を使ってほしくはないなとは思います。
殺人の方法及び、それを暴く探偵の捜査方法は合理的かつ科学的でなけばならない。例えば殺人の方法が毒殺の場合、未知の毒薬を使ってはならない。
重要度B
探偵の操作方法が合理的で科学的でなければならないのは当然ですが、殺人の方法が合理的かつ科学的でなければならないというのは少し曖昧でもよいと思います。例えば、毒殺の場合に、「一般人が毒薬を購入するのは無理」とか「毒薬を盛ってもすぐに吐き出せば即死することはない」のようなツッコミはゆるくてもよい思います。
事件の真相を暴く為の手がかりは、作中の探偵が明らかにする前に全て読者に提示されなくてはならない。
重要度S
最初のルールと同じ内容です。ヴァン・ダインの代表作である「グリーン家殺人事件」では解決編の前に手がかりを全てまとめてあります。
ストーリー展開に影響を及ぼさない描写や文学的表現は省略すべきである。
重要度A
こちらも既出のルールと一部重複します。もちろん全面的に同意です。ただ、一見つまらない描写が問題解決の伏線になる場合があるので、つまらないなと思いながらもていねいに読んでしまいます。読後「結局、あの描写って何だったの?」みたいなこともよくありますが。
プロの犯罪者を犯人にしてはならない。一般人に収まらない犯罪者なら警察が片づけるべきであり、読み物なら一般人に推理できる犯罪者が望ましい。
重要度C
現実世界においては一般人に収まらない犯罪者なら警察が片付けるべきなのです。しかし、推理小説の世界では一般人である探偵が事件に首を突っ込んできます。リアリティはないけれど、このあたりは読み手がある程度妥協すべきです。もちろん、私も推理小説においては「探偵役」は必要ですが、必ずしも「探偵」や「刑事」は必要ないと思っています。
事件を犯人の事故死や自殺で終わらせてはならない。このような終わらせ方は読者にとっては詐欺である。
重要度C
犯人の事故死や自殺は全く問題ありません。推理小説の場合、犯人の事故死や自殺が事件の未解決を意味するわけではないからです。ただ、登場人物がやたらとテンポよく死んでしまう作品は好みではないです。
犯罪の動機は個人的なものでなければならない。組織的な動機や陰謀の類ならばスパイ小説で書くべきである。
重要度A
推理小説として話のスケールや舞台が大きくなりすぎてはいけないということです。限られた空間で限られた登場人物によって事件が発生し、解決するというスタイルは普段はあまり意識はしませんが当然のことだなと思います。
既存の推理小説で使い古された手法は使うべきではない。以下に一例を記述する。(一例部分省略)
重要度C
使い古された手法を使っても問題ありません。探偵の推理・犯人の動機や犯行が自然で合理的であれば、仕掛けが平凡でも問題ありません。仕掛けのトリッキーさに傾倒するあまり、シンプルだけど大事な部分がおろそかになっている作品が多いです。そして、仕掛けがシンプルで、登場人物の行動が合理的で無理がない推理小説は文句なく名作です。
1928年に発表された推理小説のガイドライン
以上が各論の簡単な解説になります。
「二十則」の中には「そんなルール当然だろ」とか「言われてみればその通りだな」とか「そんなルール細かすぎるだろ」など、ツッコミどころは多いです。もちろん、このようなルールを無視した作品も数多く、ヴァン・ダイン自身もルールから逸脱した作品を発表しています。
しかし、「二十則」の素晴らしさは、およそ100年前に提唱したガイドラインにもかかわらず、社会情勢の違いによる古さはあまり感じない点です。