江戸時代以前の天守が現存する12城の奇跡

現存天守12城全て行ってきました

こんにちは。管理人のエスポワールです。現存天守12城についてまとめます。

先日、岡山県の備中松山城を訪問したことにより、日本の現存天守12城を全て行くことができました。最初に訪問した弘前城が2017年5月だったので、およそ2年2か月ほど年月がかかりました。

それぞれの城に関しての記事は後日まとめますが、今回は旅行記ではなく、お城や天守に関する知識を整理したものをまとめます。

現存天守とは

現存天守とは江戸時代以前から残る天守のことです。

江戸時代以前に作られた天守が当時の状態で残っているという意味ではなく、改修や修復が随時行われています。

かつて、日本には2万5千以上の城があったと言われています。そのうち、一般的に見学できる城の数はおよそ200ほどありますが、その中には城跡も含まれます。つまり、堀や城壁しか残っていない城も多いのですが、それ以上に何も痕跡が残っていない野ざらしとなって消えた城がほとんどなのです。

また、天守が残っていても、一度完全に失った当時の天守を設計通りに復元した復元天守(例:会津若松城・名古屋城・熊本城)とよばれるものや、当時の天守を忠実に再現しなかった復興天守(例:大阪城・小田原城)とよばれるもの、さらには最初から天守が無かったなかったのにもかかわらず、事後的に天守を付け加えたような模擬天守(浜松城・清洲城・富山城)といった天守もあります。

日本最初の天守と城が増えて、減っていくまで

日本で最初の天守は織田信長が築城した安土城と言われています。以前の城は堀と城壁と櫓で敵の攻撃に対する防御機能のみを備えていましたが、織田信長は城の天守に自身の権力や武力の象徴としての役割を求めていたと言われています。

そして、天守を兼ね備えた築城が全国に広まり、特に、関ヶ原の戦い(1600年)の後に築城ラッシュを迎えます。関ヶ原の戦い直後に全国で多くの大名の配置転換が行われた為です。

しかし、築城ラッシュも長くは続きません。大坂夏の陣以降の徳川幕府の体制の強化により出された一国一城令(1615年)により日本の城は激減します。この法令により大名は居城以外の城を持てなくなり、幕府に対抗する武力だけでなく、大名同士の抗争も禁じられたのです。そして、城郭を持つ城の数がこの法令によりおよそ3000から170にまで減ってしまったのです。

次の転機は明治維新後の廃城令(1873年)です。この命令は新政府により近代都市の要塞として必要な城のみを残し、それ以外は廃城にするという命令です。これにより要塞として存続した城は40あまり。しかも、当時は文化財として保護されたわけではなかったので、天守の維持が不可能な場合は自主的に取り壊しや払い下げが行われたのです。結局、昭和に入るまでに残った天守はわずか20。

そして、1945年の第二次世界大戦の空襲により広島城、水戸城、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城が焼失し、残った天守は13。1949年に失火により松前城が焼失し、残りが12となります 。

多くの困難を乗り越えた12天守を称えよう

以下に、現存天守12城をまとめます 。

これらの城は日本の歴史の表舞台に立った有名な城ばかりではありません。城主が大きな権力を持っていたことにより存続したという訳でもありません。そして、全て観光地としてにぎわっている訳でもありません。

日本にかつて存在した2万5千の城のうち、江戸時代以前の天守を現代に残した12の奇跡を称える気持ちとともに現地へ行ってきました。

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